清濁思龍の雑話録

遁世と修道

右翼と左翼の不毛な闘争

国や民族のアイデンティティに関する問題を解決するのは困難であり、今出来るのは国民全体の知的レベルを上げる事くらいです。そして知的レベルを向上させるには、自身にかけられた教育という名のマインドコントロール全面解除する必要があります。

全面解除をするには、家庭での教育(しつけ)と、学校での(義務)教育の両方をしっかり学んだ後、自分の意思で正反対の価値観を学び、比較対照によって自分なりの答えを出す必要があります。

勉強とは他人が出した答えを学ぶ事を言い、学問は他人の答えに疑問を持って検証する事を言います。勉強だけでは高学歴の石頭のままで終わりますし、学問はまとまった勉強をした後でなければ始める事さえ出来ません。

 

戦後の日本は民族教育を行っておらず、近隣諸国への配慮から虫食い状態の歴史を教えています。その為、日本人としてのアイデンティティを持たず、日本の事を何も知らない国民ばかりという状態になっています。

個人としてのアイデンティティは、国民としてのアイデンティティという基礎や背景が無ければ育ちません。個人の力だけで0から1を生み出すのは極めて困難であり、釈迦世尊やキリストのような超人でもない限り、一代で文化を生み出す事は出来ません。

例えば、両親や学校が必要な知識を何も教えず、白紙の状態で社会人デビューする人の事を想像してみてください。そんな人が上手くやっていける訳が無いですし、もし雇用する会社があったとしても、教育係に大変な迷惑をかけるのは確実です。

 

国民としてのアイデンティティは、個人的な思考の地盤でもあります。思考の地盤が固まっていないと、地に足がつかない浮ついた思考回路が形成されて、様々なトラブルを引き起こします。早い話、非常識とか世間知らずとは、この事を言うのです。

ただ、現在は国民としてのアイデンティティを持たない人の方が多いので、常識や世間そのものが変化しており、世代間のギャップも激しくなっています。特に戦前・戦中世代と団塊世代のギャップは決定的で、その溝は埋めようが無いほどでした。

決定的なギャップの原因は、学校教育にあります。戦前・戦中世代は皇民化教育民主主義化の両方を経験したので思考に幅がありますが、団塊世代戦後民主主義の価値観しか知らないので、視野の狭い人が多くなってしまったのです。

 

私自身も学生時代は戦後民主主義の価値観しか知りませんでしたが、長く坊守(ぼうもり・住職の妻)を勤めてきた祖母と色々な話をするうちに、学校教育と両親の考え方に違和感を覚えるようになりました。

最初は違和感の正体が掴めなくて困っていましたが、たまたま小林よしのり氏の著書「新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論を読んだ時に、その違和感の正体が思想の偏りである事を理解しました。

この本を読んだ時から、私の中に根付いていた左翼的な思想と、新たに学んだ右翼的な思想が論争を始めました。最終的に「地球は地獄だ」という全然関係ない考えに行き着きましたが、それが悟りのトリガーになったのは別の話です。

 

悟りの見地からすると「右も左も偏見に過ぎないけれど、そういう見方も出来るという意味では両方とも正しい」となりますが、それはある意味「どっちつかず」の態度であるとも言えます。

一般市民なら「どっちつかず」でも構いませんが、国の舵取りをする政治家がブレまくっていたら我々有権者は困ってしまいます。政党政治はその為のもので、思想が違うなら離党するしかありません。

因みに、私の中では極左 ← リベラル ← 中庸(ちゅうよう) → 保守 → 極右」という感じで、中庸から離れるほど思想の偏りが激しくなると考えています。また、中庸は「どっちつかず」ではなく、折衷案(せっちゅうあん)を良しとするタイプと定義しています。

 

また、政治運動に関心が無いノンポリ(ノンポリティカル)層は、学校教育の影響で潜在的リベラルに分類されると思っています。尤も、このあたりは私個人の考え方なので、世間一般の定義とは違うかも知れません。

 

本来、右翼と左翼は思想の違いはあれど、両方とも愛国者の筈です。しかし、日本の左翼は少々特殊で、アナーキスト(無政府主義者)リバタリアン(自由至上主義者)に近い思想を持っています。

アナキズムリバタリアニズムは弱肉強食の思想で、例えるなら豪族が覇を競う古墳時代や、大名が天下取りに奔走する戦国時代に回帰するようなものです。つまり、現代文明そのものを否定し、全てを一からやり直したいと言っているのと同じなのです。

左翼の根底には「敗戦によって日本は終わったのだから、全く新しい国に生まれ変わるべきだ」という思想があります。そして新しい日本は「人種差別とは無縁の、グローバルな多民族国家であるべきだ」と考えている訳です。

 

しかし、日本の歴史と文化を尊重し、皇室の存続を望む保守派や右翼にとって、この思想は到底受け入れられるものではありません。何せ、自分達が大切にしているものを「全部ぶっ壊す」と宣戦布告されたのと同じですから。

また、左翼やリベラル派は法律は守るものではなく、変えるものと認識しているので、現行法を尊重せず違法行為を許容する傾向があります。だから不法滞在外国人の支援をしたり、過激なデモを行ったりするのです。

尤も、右翼も暴力的で下品なデモをするので、どちらにせよ偏った思想の持主は迷惑です。ただ、保守派の大半は学校教育や、大手メディアへの疑念から転向した人達なので、左翼やリベラル派ほど盲目的ではありません。

 

左翼やリベラル派が盲目的なのは、GHQの影響を残す学校教育や、海外のグローバリストによるマインドコントロールが解除されていないからです。実際、彼らの言動は宗教の原理主義と殆ど同じで、自分達の正しさを1ミリも疑っていません。

相対的な思想を許容するのは極めて重要で、片方だけの思想しか持っていないと、どうしても盲目的になってしまいます。つまり、左翼やリベラル派の人達に必要なのは、マイノリティ(少数派)である右翼や保守派との対話なのです。

同じ言語を使う日本人同士なのですから、酒を酌み交わしながら話をすれば、必ず和解出来ます。もし「そんな真似はしたくない」と思ったなら、それは自身が思想や知性で差別をしている事に気づくチャンスと捉えるべきです。

 

本当にあらゆる差別の根絶を願うなら、外国人を味方につけて「敵」を黙らせようとするのではなく、最も近い場所に居る「敵」と話し合って和解してみせてください。相互理解こそが世界平和への道であると証明するには、実際にやってみせるのが一番です。

勉強から学問へ。地球市民の前に日本人に。左右の分断を和解に。これこそが反戦・反差別を掲げる知的エリート達が、真っ先に成し遂げるべき使命の筈です。