清濁思龍の雑話録

遁世と修道

我が魂のルーツを辿る その3

前回の続きです。

北海道半周の旅は乗り慣れた400cc二気筒のバイクだったので、むしろ長距離運転を大いに楽しんでいました。しかし、当時の私は自動車に乗り慣れておらず、全くのペーパードライバーでした。その為、諏訪はとても遠い場所に思えました。

道でいうなら中央高速を含めて一本道ですし、過去に何度もバイクで富士山スカイラインを走りに行っているので、高速道路の乗り降りには何の問題もありません。それに、カーナビとETCがあるので、むしろバイクよりも条件は良い筈です。

・・・とまあ、そんな事を考えながら、岡谷ICから新・中山道を直進して、諏訪大社・下社秋宮に向かいました。無事に現地に到着し、秋宮に参拝する事が出来たものの、境内の何処に行っても御神気は一切感じませんでした。

 

 

 

個人的には、社殿の四方を囲む御柱(おんばしら)から「氣」を感じなかった事に驚きました。この場合は、初めからパワーとエネルギーを持っていないか、単に今は機能しておらず休眠中であるかのどちらかです。

前者の場合は「諏訪の信仰自体が迷信」という事になってしまいますが、諏訪では至る所に呪術的な法則を見いだせるので、その可能性はありません。後者の場合は、昔は何らかの役割があったのに、既にその役割を終えている事を意味します。

神社は神に祈りを捧げる為の場所ですから、役割(目的)があるとするなら悪神の封印か、善神を降ろすかのどちらかです。例えば、神道地鎮祭では四方に斎竹(いみだけ)を立てて注連縄を張り、清浄な結界を作って神の御降臨を願います。

 

御柱と斎竹が同じかどうかは分かりませんが、昔は諏訪地方に伝わる特殊な神事があって、その神事では御柱が何らかの役割を担っていたのではないでしょうか。そして、その神事は歴史の中で失われて、形だけ残っているような気がします。

秋宮参拝後、その隣にあるホテル山王閣(2017年に閉業)という国民宿舎に宿泊しました。料理は美味でボリュームもあり、温泉は源泉かけ流しで泉質も良かったのですが、建物はやや老朽化している印象でした。

その夜、ふらっと部屋を抜け出して、秋宮の境内で気功をさせてもらいました。昼と同じで御神気は感じませんでしたが、風水的な「氣」のパワーは素晴らしく、地下に意識をかけて引っ張ると、膨大な「氣」を吸い上げる事が出来ました。

 

その時に、漠然と諏訪大社の役割が分かったような気がしました。調査不足でハッキリとした事は言えませんが、恐らく諏訪湖は止水の龍神であるミシャグジさまの御神体で、何らかの理由でタケミナカタとして祀る必要があったのだと思います。

そして御柱は、エネルギー変換器か、そのシンボルみたいなものだと思います。諏訪湖を信仰の対象にして四方を社殿で囲むのではなく、上社と下社の位置に二社づつ祀り、大祝(おおほうり)を神の依代(よりしろ)にした事にも、それなりの意味がある筈です。

大祝は諏訪家が世襲していましたが、明治政府がその制度を廃止し、諏訪家も断絶した為、もう真実が明らかになる事はありません。

 

翌日、諏訪大社・春宮に向かいました。でも、カーナビの指示通りに移動したら旧・中山道を走行する羽目になり、いつまで経っても春宮の駐車場に辿り着けなくて困ってしまいました。やむを得ず秋宮に戻って、新・中山道から春宮に向かいました。

何とか春宮に参拝しましたが、ここでも御神気は感じられませんでした。有名な浮島や、万治の仏仏、砥川の御手洗でも何も感じなかったので、諏訪とは縁が無いのかなと思いました。しかし、駐車場への帰り道で、いきなり強い御神気を感じました。

バッと振り向くと、高台の所に鳥居が見えました。間違いなく、御神気の出所はそこでした。これは呼ばれているなと思ったので、手すりの無いガタガタの石段を登って参拝しました。神社と御祭神の名は分かりませんが、水神と彫られた石碑がありました。

 

 

 

この水神社も、四方を御柱で囲まれていました。そして、この社は砥川を崇める為ではなく、鎮める為の社だと直感しました。砥川の浮島にはセオリツヒメを御祭神とする浮島社があるのですが、恐らくこの水神社とは表裏の関係にあると思いました。

そして、この水神社は他の場所から移転させられたか、元は別の役割を持っていたのではないかとも思いました。何故なら、この社の御神気(感情エネルギー)は「違う」とか「○○を知って欲しい」と訴えているような気がしてならなかったからです。

私は霊能者ではないので、御神気の解釈が間違っている可能性は高いです。ですから、むしろ霊感の強い人に間違いを指摘してもらいたいし、出来れば正しい解釈を教えてもらいたいです。霊感に自信がある方は、よろしければコメントをお願いします。

 

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