清濁思龍の雑話録

遁世と修道

日本仏教界のタブーについて

 

教育および社会化という名のマインドコントロールからの解放は、人生における最優先課題です。何故なら、マインドコントロールの影響下にある人は必要以上にタブー(禁忌)を恐れ、踏み込んだ思考が出来なくなるからです。

タブーは思考停止のスイッチですが、社会的、因習的なタブーは集団や組織を維持する為に必要な取り決めでもあります。なので、集団や組織の頂点に立つ者は、タブーを犯そうとする者を断罪する責任を持ちます。

しかし、タブーの所為で理不尽な思いをさせられて、それがどうしても納得できないし許せないという人は、リスクを承知でタブーに踏み込まざるを得なくなります。そしてそれは、人を飼い慣らす為の「優しい嘘」が暴かれる瞬間でもあります。

 

因みに、日本国内における最大最悪のタブーには、ある伝統仏教の宗派が絡んでいます。その宗派の宗祖は教科書に載るほど有名で、派生した新宗教や新宗派も沢山あるのですが、どの団体も例外なく攻撃的です。

そもそも宗祖が極めて攻撃的で、他宗教や他宗派を徹底的にこき下ろし、完全否定する事で力をつけた人物でした。その教義に忠実であろうとすれば、教団や個々の弟子達も攻撃的にならざるを得ないのです。

全ての宗教宗派はカルト化する可能性を持ちますが、この宗派は成り立ちからしてカルト化以外の選択肢が存在しません。宗祖は僧侶のなりをした活動家であり、派生する新宗派や新宗教は悉(ことごと)く邪宗邪教です。

 

この宗派を論破するのは簡単です。何故なら、大恩教主・釈迦牟尼世尊は、直筆の経典を一つも残していないからです。全ての仏教経典は世尊入滅後に編纂・結集されたものですし、そもそも無我という真理はその特性上、言語で表現する事が出来ません。

ですから、特定の経典のみが真理を表すという説は根本から間違っていますし、真理そのものではない経典をいくら誦しても悟れません。そもそも信仰の対象が間違っているので、経典の解釈も恣意的なものにしかなりません。

最も有名な経典である般若心経や、口伝のパーリ聖典を含めて、現存する経典は全て偽経(ぎきょう)です。しかし、自らが悟れば経典が伝えようとしている事も分かりますし、宗派の別は表現方法の違いに過ぎないという事も分かるようになります。

 

しかし、この宗派だけは完全に異質で、悟りの視点から見ても同意出来る所が一つもありません。たまたま隆盛の条件が揃って現代まで受け継がれ、伝統宗教と見做されるようになったというだけで、本質的には仏教でさえありません。

この宗派が存続する限り、我々は僧侶のなりをした活動家を歴史上の偉人と見做し、形だけの仏教寺院で間違った教えが説かれ、犯罪スレスレの暴力的な手口で信者を増やすのを黙認しなければなりません。

過去に私は数名の信者と議論をしましたが、次に会った時は全員、洒落にならないレベルの洗脳を受けていました。哀れにも目に狂気を宿し、口から泡を吹きながら「何でそんな事がわかるんだぁあ!」と喚くだけのロボットになり果てていたのです。

 

仏教に関心が無い人も油断は出来ません。何故ならこの宗派は教義上、絶対に国教化を諦められないからです。その為、教団側が信者達に会社での出世を命じ、時間をかけて自分の部下を洗脳し、入信させようとする事さえあります。

因みに、会社員時代の私の上司が、この宗派の信者でした。その元上司はとにかく言動がチグハグで、とても常識的な行動をするかと思えば、人間性を疑うほど無神経な所もあり、時には意味不明な謎理論で他人を攻撃する事もありました。

でも、その常識的な部分は宗派の教えに従っていただけで、中身は選民意識まる出しの自惚れ屋でした。意味不明な謎理論にしても、調べてみたらその宗派の根本教義そのまんまでした。

 

つまり、元上司の言動のチグハグさは、そのまんま宗派の個性だったのです。そうなった原因は、他の宗教や思想とは決して相容れない特異な教義を、解釈の変更や、理屈の付け足しによって、穏健な教義に見せかけようとした所にあります。

この宗派のカルト性は公然の秘密ですが、国内でその事について論じるのはタブーです。何故なら、学校や会社のみならず、政治、経済、法律などの分野にも信者が居て、常に目を光らせているからです。

タブーに触れて信者を怒らせたら、すぐに教団ぐるみの嫌がらせが始まります。その宗派にとって嫌がらせは信仰心の表れであり、宗祖が示した仏道そのものです。こんなクレイジーな教団が相手では、一個人などひとたまりもありません。

 

もし国が本気でカルト宗教や危険思想の芽を摘もうとすれば、必ずこの宗派とも敵対する事になります。しかし、そうなればいつ終わるとも知れない不毛な戦いが続くでしょう。だからこそタブーなのです。

我が国の司法が犯罪者やイジメの加害者に甘いのも、この宗派の分派が「人権」という錦の御旗・大正義を隠れ蓑にしているからです。その為、人権思想そのものがタブーと化しており、国民を思考停止させる原因になり果てています。

人権思想は一神教キリスト教圏で発生したもので、多神教ベースの日本文化とは本質的にかみ合いません。ですから、本来なら人権思想を日本流にアレンジしなければならないのですが、それはタブーを犯す事になるので誰も手を付けたがりません。

 

まるで陰謀論のような話ですが、それだけ伝統仏教の宗派は日本文化に深く根を下ろしていて、全国民が無意識レベルで影響を受けているという事です。しかし、件の宗派は信者を使って様々な分野に干渉しているので、無視する訳にもいきません。

これは何百年も解決しなかった問題ですし、恐らく今後もずっと国が抱えていく闇で在り続けるでしょう。でも、無我という真理は言語では表現できず、現存する経典は全て偽経(ぎきょう)である事を知らしめれば、少しはこの宗派の勢いを削ぐ事が出来ます。

何だか他の宗派にもダメージがいきそうな話ですが、祖師方はそんな事は百も承知で教えを説かれていますので、全く問題ありません。実際、私自身は浄土真宗の人間ですが、浄土三部経偽経と言われても痛くも痒くもありません。

 

無我と経典についての話は、雑学や一般教養の範囲に収まります。だから安心して日常会話や、SNS、ヤフコメ等で広めてください。でも、私はもう二度とあんな連中の相手をしたくないので、この記事を直リンクする事は切にお控え願います。