清濁思龍の雑話録

遁世と修道

愛国心と「道」の文化

殆どの外国人は、母国の象徴である国旗を見たり、国歌が聞こえたりすると、仕事中や食事中でも起立して敬意を示します。移民国家であるアメリカでは、幼い頃から星条旗に忠誠を誓い、アメリカ人になる為の教育を受けさせられます。

では、我々日本人はどうかというと、ほぼ全員が国旗や国歌など気にも留めません。それどころか国旗や国歌を戦争の象徴と見なして、露骨に嫌悪する人さえ居る始末です。

この反応の根底には「自国民の愛国心を育てると、国を守る為に戦争を始める」と言うロジックがあります。このロジックの信奉者は愛国心の無い人が増えれば戦争に行く兵士が減る、国旗や国歌の否定は正義だ」と考えています。

 

身も蓋もない言い方をすると、戦争は国益を確保する為の外交手段の一つであって、その根底には「話し合いでは解決出来ない深刻な問題」が存在します。仮に全国民が戦争参加を拒否しても、戦争の火種が消える事はありません。

火種がある限り、世界中の国家が同時に消滅しても、この世から戦争が無くなる事はありません。何故なら、人が生きて行動すれば、必ず大きな問題が発生するからです。つまり、国民に愛国心があろうが無かろうが、戦争は起きてしまうのです。

戦争を起こさない唯一の方法は、一方的な譲歩だけです。例えば、竹島尖閣諸島を手放せば、確実に戦争の火種を一つ消す事が出来ます。しかし、隣国は既に譲歩の味を占めているので、またゴールポストを動かして更なる譲歩を要求してきます。

 

日本人は「誠実さに勝るものは無い」と考えがちですが、外国ではダメ元で無理な要求を吹っかけてから交渉を始めるのが基本です。この場合は下手に譲歩などせず、相手の流儀に合わせて交渉する方が問題は起きません。

しかし、日本国民は交渉を吹っかける事に慣れていないので、日本政府が外国に交渉を吹っかけたと知れ渡れば、一瞬で政権がひっくり返ります。かと言って譲歩に譲歩を重ねれば、日本の国益がどんどん失われていきます。

国益が失われれば、その分だけ国民が経済的打撃を被り、国全体が貧しくなっていきます。「それでも戦争を回避出来るなら良し」と考える人も居ますが、それは無責任な考え方で「自分は困らないからどうでもいい」と言っているのと同じです。

 

日本は憲法9条に守られているとか、自衛隊(軍隊)があるから戦争になると主張する人も居ますが、いくら戦争の放棄戦力の不保持交戦権の否認を宣言しても、戦争の火種が完全に消滅する訳ではありません。

もし世界中の国家が軍隊を放棄しても、紛争や内戦は無くならないし、宗教同士のいがみ合いや、差別の類も無くなりません。この世から戦争が無くなったとしても、今度は経済的な戦いが激化します。実際、グローバル経済の本質は、世界経済戦争です。

戦争の火種がある場合、力の拮抗によって一時的に平和を保つしかありません。拮抗する力の種類は、武力でも、経済力でも構いませんが、力が無ければ交渉に持ち込む事さえ出来ず、一方的な譲歩を強いられます。

 

個人だけの力よりも集団の力の方が強いですし、その集団の最たるものが国家です。国家があるから戦争が起きると考えるのではなく、国家が持つ力を戦争の抑止力と考えて、正しく運用するのが大切です。その団結の象徴が国旗であり、国歌なのです。

会社員同士で協力し合う方が仕事の効率が良いのと同じで、国民同士で団結して国益を守っていく方が国家の力は強くなります。逆に国家の団結力が弱まればパワーバランスが崩れて、近隣諸国との交渉で負けたり、国家主権や領土が脅かされたりします。

因みに、国民の三大義務である教育、勤労、納税は、どれも国力に直結しています。要するに、国力を強化し続けなければ国民を守れないし、繁栄している強い国に戦争を吹っかけるような国は無いという事です。

 

国家の役割やメリットが分からない人は、国家を愛する事が出来ません。自分を守り、育ててくれた母国と故郷を愛せない人は、同様に他国も大切に出来ないし、愛する事も出来ません。恩愛と感謝を知らない人は、人間として未熟であり、幼稚です。

某芸術祭で昭和天皇の肖像を燃やす映像を「芸術作品」と強弁した人達は、平気で日本の国旗も燃やせますし、状況次第では他国の国旗も燃やすでしょう。つまり、愛国心の欠片も無い人達は、自己正当化の屁理屈くらいしか言う事が無いのです。

残念ながら日本の命運は尽きる寸前で、遅かれ早かれ皇室は無くなり、共和国かイスラム国家に生まれ変わります。大半の国民に国家を守る意思が無いのですから、それも仕方がありません。

 

ただ、亡国の憂き目に遭っても、大和民族「魂」を残す事は可能です。何故なら、魂はゲノムではなく、思想の方向性だからです。目の色や肌の色が違っても、大和魂を継承していれば日本人ですし、継承していなければ日本人ではありません。

因みに、このロジックだと、皇室も男系に固執せず、女系天皇を認めても構わない事になります。何故なら、問われるのはゲノムではなく、代々皇室に受け継がれてきた祭祀帝王学を学び、どれだけ身に付けてきたかという所だからです。

我々一般人の場合は、武道や茶道などの「道」と付く習い事をすれば良いでしょう。何かを人間的成長の「道」と見做すのは、日本だけの完全オリジナルな文化であり、言わば日本文化の精髄です。

 

将来、日本がイスラム国家になっても、宗教色の薄い茶道は残る可能性が高く、その源である禅(仏道)の精神も共に受け継がれていく筈です。もちろん禅と茶道が日本文化の全てではありませんが、それらの「道」を通じて大和魂が継承される事を期待します。

 

 

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