清濁思龍の雑話録

遁世と修道

聖地巡礼の旅が終わった

 

私は2014年から2023年にかけて、全国の神社仏閣巡りをしていました。2018年に勤めていた会社を辞めて、旅に専念するつもりだったのですが、次から次へとやることが出来てしまい、最終目的地の高千穂に行くまでに約9年もかかってしまいました。

退職して遁世者となった半年後に、伊勢の菊理姫と名乗る「悟り系カルト」に騙された茶柱さと出会いました。茶柱さんは修行という名目で心身をボロボロにされ、師の事業を支えるという名目で財産を全て奪われていました。

出会った当時の茶柱さんは鬱病希死念慮に苦しみ、とても自力では生きていけない状態でした。このまま医療と福祉に繋いだとしても、伊勢菊理の教えと言う名の呪縛は解けないと判断したので、一時的に私が保護する事に決めました。

 

幸い、伊勢菊理は無能だったので、呪縛を解くのは簡単でした。でも、私は鬱病に詳しくないし、介助の経験も無かったので、医療と福祉に繋ぐまでが大変でした。正直、これも修行と考えなければ、とてもやっていられませんでした。

因みに、茶柱さんと私は今もルームシェアをしていますが、弟子ではありません。保護の必要が無くなったら同居を解消して、自分の力で生きていくという話になっています。

茶柱さんも良い精神科医と出会い、精神障碍者手帳を取得し、障害年金を受給するようになってから、精神的に安定してきました。私も介助の合間を縫って巡礼の旅を続けて、どうにか旅を終える事が出来ました。

 

何だかんだで、私ももう50歳。発達障害毒親持ちのハンディキャップを乗り越えて今日まで生き延びてきましたが、そろそろ老いが体を蝕み始めています。最後の旅の途中で右膝が痛み出し、帰宅後に病院に行ったら初期の両変形性膝関節症と診断されました。

医者が言うには、長期に渡る外仕事の影響で膝関節が変形し、水が溜まって痛みが出るようになったそうです。まだ初期の段階なので安静にしていれば問題ありませんが、もう以前のようには神社仏閣巡りや登山は出来ません。

 

 

膝をやってしまったのは、九州にある初代・神武天皇ゆかりの地、槵觸神社(くしふる じんじゃ)を参拝し終わった後です。槵觸神社は高千穂にある天孫降臨の峰とされている槵觸岳(久士布流多気・くしふるだけ)にある神社です。

槵觸岳全体が記紀神話の聖地であり、山内には槵觸神社の他に、降臨された神々が高天原を遥拝したとされる場所や、約2700年前に神武天皇三毛入野命稲飯命五瀬命ら四皇子が誕生したとされる場所などがあります。

槵觸岳はキチンと整備されていましたが、高千穂には他にも重要な神社が複数あり、私個人が日程の調整を誤っていた事もあって、かなりの無茶をする羽目になりました。その無茶の結果として、膝を痛めてしまったのです。

 

 

 

槵觸神社はパワースポットとして有名ですが、個人的には歴史モニュメント的な場所だと思いました。天孫降臨の神話や神武天皇の生い立ちといった建国の神話を、石碑・書籍・口伝ではなく、神社や信仰という形で残したからこそ、現代まで伝わっているのだと思います。

また、高千穂は全方位を険しい山に囲まれた盆地(高千穂盆地)であり、湧水や河川(五ヶ瀬川)にも恵まれています。つまり、他の豪族から民を守りつつ、狩猟や農耕に勤しむのに適した隠れ里のような場所だという事です。

他所との交流を前提とする現代人にとって、高千穂は住み易い場所とは言えません。何せ、何処へ行くにも峠を越えなければなりませんから。でも、縄文後期や弥生前期の自己完結型社会に生きた人達にとっては、高千穂は安住の地だったのかも知れません。

 

 

 

帰宅後、夢の中に神武天皇(と二人の女性)が現れて、旅の苦労をねぎらってくださいました。今まで水神ミヅハノメノカミと、先祖である靖国の英霊としか縁を結べなかった私にとって、これはなかなかに驚くべき事でした。

二人の女性のうち、一人は皇后の媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタラ イスズヒメ)だと直ぐに分かりましたが、もう片方の女性が誰か分からなかったので起床してからググってみました。

すると、宮崎(日向)に居た頃に阿比良比売(アヒラ ヒメ・吾平津媛)と結婚して、二人の子供をもうけていた事が分かりました。なるほど、神武天皇にとっては二人とも大事な妻なのですね。納得。

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