清濁思龍の雑話録

遁世と修道

我が魂のルーツを辿る その2

前回の続きです。

ミヅハノメノカミが夢の中に現れた翌日に、青渭神社に参拝しに行きました。境内に一歩踏み込んだその瞬間、夢の中で感じた時よりも遥かに強い御神気を感じました。でも、それは怒りや憎悪のエネルギーではなく、度を超えた好意とでも言うべきものでした。

社殿から押し寄せる御神気に圧倒されて、参道を歩く事さえ困難でしたが、何とか拝殿に辿り着き、無事に参拝する事が出来ました。すると拝殿の奥から赤い舌?のようなものがスルスルと伸びてきて、私の左手首に絡みつきました。

そこにはヘミシンク®を聴いていた時に縁あって購入した、水晶の腕輪念珠がありました。自宅に帰ってから腕輪念珠の「氣」を確かめてみると、明らかに以前とは違う「氣」を放つようになっていました。もちろん、何をされたのかは分かりません。

 

これらの体験によって、私はミヅハノメノカミに夢中になってしまいました。調べてみると、ミヅハノメノカミは井戸や水源を司る水神であり、御祭神として祀っている青渭神社は都内に3社ある事が分かりました。

深大寺の隣にあるのは調布市の青渭神社で、他の2社は稲城市青梅市にあります。どちらも当時の住居から近い所にあったので、所有していたバイクで参拝しに行きました。

でも、調布の時のような体験は一切無かったので、少々拍子抜けしてしまいました。その後もミヅハノメノカミを求めて近隣の神社を巡りましたが、残念ながら何の成果も得られませんでした。

 

ある日、スピリチュアル系のサイトを見ていたら、繭気属性(けんきぞくせい)なるものがあると知りました。そのサイトによると、世界は地、水、火、風、空の五大要素で成り立っていて、人間はそのどれか一つの属性を持って生まれて来るという話です。

いわゆるパワースポットにも繭気属性があって、自身の属性と相性の悪い所に行くと運気が下がるそうです。試しに属性の割り出しをやってみると、私は水属性に分類される事が分かりました。

偶然にもミヅハノメノカミは水神ですが、水属性とされる大國魂神社に参拝しても、特に何も感じませんでした。他にも箱根神社が水属性で、関東有数のパワースポットと紹介されていたので、すぐさまバイクで行ってみました。

 

箱根神社に参拝しても何も感じませんでしたが、芦ノ湖湖畔にある箱根九頭龍神社・本宮は別でした。「神山通り」と記された道標の所に見えない鳥居があったり、参道と奥の遊歩道が御神気に満ちていたりと、なかなかに興味深い体験をさせていただきました。

 

 

 

箱根九頭龍神社の御祭神はミヅハノメノカミではありませんが、何故か馬が合う感じがしました。その理由を色々と考えてみた所、どうやら私は止水を司る水神と相性が良いのではないかと思いました。

その理由は、川や滝などの通水を司る神であるセオリツヒメや、治水を司る水分(みくまり)の神とは縁を感じなかったからです。この考えが正しければ、恐らく諏訪湖や榛名湖の御祭神とも縁を結べる筈です。

でも、250ccの単気筒バイクで諏訪四社や榛名山に行くには、少々勇気が足りませんでした。とりあえず関東周辺の有名な神社仏閣には行きましたが、残念ながら深大寺、青渭神社、箱根九頭龍神社を超える所はありませんでした。

 

次第に私は「水神しか相手をしてくれない」と考えるようになり、より深く水神について知りたくなりました。そして色々調べていくうちに、奈良県丹生川上神社水神宗社と呼ばれている事を知りました。

しかし、丹生川上神社は非常に遠く、とてもバイクで行ける距離ではありません。宿を予約したり、キャンプ旅をする事も考えましたが、いずれ諏訪や榛名にも行くならば、いっそ車中泊が可能な自動車を購入するべきだと思いました。

若い頃にツーリングキャンプで北海道を半周した事があるので、キャンプ場は予約やチェックインの手間がかかる事を知っていました。それに、テントは雨や風に弱く、寝心地も良いとは言えません。

 

 

 

車中泊にはそういった面倒が無い上に、宿代も節約出来ます。なので、思いきってバイクを手放し、ホンダのバモスという軽バンを購入しました。購入後、慣らしを兼ねて諏訪大社に行ってみたのですが、予想した通りに止水の龍神との出会いがありました。 

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我が魂のルーツを辿る その1

日本では愛国心(ナショナリズム)を戦争の引き金になる危険な感情と考える人が多いので、国旗の掲揚、国歌の斉唱、皇国史観などが忌避されています。しかし、こんな特異な教育は日本だけで、外国人は国旗、国歌、歴史に誇りを持っています。

私も学生の頃は国民意識など欠片も持っておらず、漠然と「日本は戦争で悪い事をした」と思っていました。因みに、私の両親は団塊世代で、ものの見事にTV、新聞、週刊誌などの主要メディアにマインドコントロールされていました。

家には当たり前のように朝日新聞があり、父親の本棚には本田勝一の著書がズラッとならんでいました。母親は本や新聞を読む習慣を持たず、女性週刊誌のゴシップ記事を鵜呑みにする単純な人でした。

 

両親は祖父母と価値観が合わなかったのか、事ある毎に「古い人だから」とか「戦争の経験者だから」と言っていました。しかし、インテリ気取りの両親よりも、田舎の祖父母の方が賢く、物事を正確に把握する力を持っていました。

父方の田舎は浄土真宗の山寺で、本堂は古臭くてボロいし、裏手には歴代住職の墓があって不気味なので、子供の頃は帰省するのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。また、昔は山道の途中で行き倒れる人が多く、村で餓死者が出る事もあったようです。

寺の歴史は非常に古く、何故か由緒に白狐天狗巨人が関係していたり、すぐ近くに妙見信仰と思われる謎の遺跡があったりします。因みに、歴代住職は寺の守護神である白狐から霊能力を授かり、それなりに大きな役目を与えられてきたそうです。

 

母方の田舎は農家ですが、土地の悪因縁が凄まじく、常に家の中に良くないものが居ました。新品の蛍光灯がパカパカ点滅したり、激しいラップ音が鳴り響くのは当たり前で、家族に病気や怪我が絶えず、子供が原因不明の突然死をする事もありました。

菩提寺は有名な真言宗の寺院でしたが、何度お祓いをしてもらっても状況は変わらなかったそうです。私も帰省した時に、牛の鳴き声と共に障子がスルスルと開いていくという、意味不明な心霊現象を経験しています。

従兄弟は全員未婚か子無しなので、母方の家系は途絶える事が確定しています。とはいえ、あの土地に行くと吐き気に悩まされるので、もう行かなくて済むと思うとホッとします。

 

幼い頃、私は東京の団地に住んでいました。幼稚園に入る前から水木しげる先生の妖怪図鑑を愛読する変な子供でしたが、中学二年の時に漫画の孔雀王にド嵌りして、密教呪術西洋魔術に興味を持ちました。ダイアン・フォーチュンの「心霊的自己防衛」や、アレイスター・クロウリーの「法の書」を読んだのもこの頃です。

中三の時に父親の仕事で多摩地域に引っ越し、図書館で高藤仙道を知りました。それから天台宗深大寺の境内で気功をするようになり、パワースポットと言えるような優秀な氣場を何ヵ所か自力で発見しています。

高校を卒業して就職してから数年後に、高藤先生が高く評価していたカルロス・カスタネダの著書を読み、夢見術に傾倒しました。気功のおかげか、才能のおかげか分かりませんが、少し練習しただけでカスタネダ本にある有機的存在と出会いました。

 

本の記述通りに、異世界の存在は骨も凍る恐怖と共に現れました。それは余りに恐ろしく、それ以上の探求を断念する理由としては充分でした。その日からオカルトとは距離が出来てしまい、かねてより興味があった精神分析に没頭するようになりました。

精神分析を学ぶうちに疑団(ぎだん)が深まり、25歳で転迷開悟しました。悟りのトリガーとなったのは禅関連の漫画でしたが、この時点では自分の体験が本物かどうか分からなかったので、とりあえず禅について調べ始めました。

しかし、禅の悟りと私の体験は違い過ぎて、勉強すればするほど疑問が出てきました。そんなある日、某巨大掲示板で私と良く似た経験をしている自称悟り人を見つけました。試しに対話をしてみると、驚くほど話が噛み合ったのを憶えています。

 

話し合いの末に、我々は上座部仏教「預流果」という初歩の悟りに到達したのではないか?という結論に至りました。それから上座部仏教の勉強を始め、一時は上座部仏教圏のタイかスリランカで出家する事も考えました。

でも、ネットで無明庵を知り、自分でもブログを書き始めると、上座部仏教への関心はアッサリと消えて無くなりました。後日、無明庵の記事にある「水晶を使った術」に興味を持ったので、深大寺の隣にある青渭神社で試してみました。

するとその晩、私の夢の中に青渭神社の御祭神であるミヅハノメノカミが顕現したのです。彼女?はワンピースにカーディガンという現代的な服装でしたが、明らかに人外と分かる圧倒的な御神気を放っていました。

 

 

私は既に悟りを体験していたので、いわゆる至福というものに耐性がありました。だから凄まじい御神気を浴びても平静で居られたのですが、一般人があんな体験をしたら、とても正気を保てないと思います。

恐らく、高位の神が人前に姿を現さないのは、御神気の出力が強過ぎて常人には耐えられないからだと思います。また、この体験により御神気の本質は感情エネルギーであると理解し、それ以降は弱い御神気も感得可能になりました。

これも推測に過ぎませんが、日本人特有の空気を読む文化は、八百万の神々や数多の仏尊との交流によって育まれた特殊能力ではないかと考えています。

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「自国ファースト」はお互いさま

2023年7月4日、埼玉県川口市在日クルド系トルコ人同士が、女性関係で揉め事を起こしました。それが切っ掛けで、重症患者を受け入れる「3次救急」に指定されている病院の前にクルド人100人前後が集まり、刃物まで持ち出す乱闘騒ぎになりました。

1990年代にクルド人テロ組織のPKKと、トルコ政府との衝突が激しくなり、難民申請によって日本に入国するクルド人が増えました。受け入れ当初から川口市民とクルド人の揉め事はありましたが、乱闘騒ぎが起きたのは2023年が初めてです。

この事件によって一部のクルド人の素行の悪さが知れ渡り、川口市の治安低下が問題視され始めました。また、トルコ国籍だとビザ免除で日本に入国する事が出来るのですが、クルド人の中にはその制度を悪用して難民申請を行う不届き者が居ます。

 

テロ組織であるPKKのメンバーや、その支援者はトルコ政府の制裁対象になっていますが、一般のクルド人は迫害されていないので、難民申請をしても受理される事はありません。

難民申請が認められなければ不法滞在となり、入館施設に収容されますが、日本では人道上の配慮により、国外退去の前に「仮放免」の措置が取られます。現時点では仮放免の申請回数に制限は無く、申請中は強制送還される事もありません。

その為、不法滞在外国人が何十年も国内で生活していたり、仮放免中に別の犯罪を犯して逮捕されるケースもあります。しかも法律上、犯罪を犯した不法滞在外国人を、強制送還する事は出来ないのです。

 

(入管難民法の改正により、2024年6月15日より難民申請は3回までとなり、それ以降は強制送還が可能になります。)

 

不良外国人が増加すれば、日本の文化に馴染もうとしている在日外国人の立場も悪くなります。至極真っ当な在日外国人と、アウトローな不良外国人を同列に扱う訳にはいきません。ここは人道主義とやらで目を瞑ってはいけない所です。

欧米諸国でも不法移民が問題になっていて、イギリスはビザの厳格化を行い、アメリカでは不法移民の強制送還を謳うドナルド・トランプ氏(共和党)が大統領に再選される可能性が高くなっています。

因みに、アメリカ民主党のバイデン大統領は多文化共生を推進しており、日本の岸田政権はその意向に逆らえず追従しているものと思われます。恐らく不良外国人の問題は、アメリカ大統領が変わるまで解決しないでしょう。

 

であるならば、今の所は犯罪に巻き込まれないよう、気をつけながら生活するしかありません。とりあえずSignal For Help(シグナル・フォー・ヘルプ)を憶えておけば、イザという時に役立つかも知れません。

 

 

 

国を捨てた不良外国人は、いわゆる「無敵の人」に近い存在です。守るべきものが極端に少ないからこそ、法律を平気で破ったり、ケンカで刃物を出したりするのです。素行の悪い人間を放置すれば、治安が悪くなるに決まっています。

日本の法律やルールを守らない不良外国人は極一部ですが、その素行の悪さを指摘すると、何故かレイシスト(人種差別主義者)呼ばわりされてしまいます。これは日本だけでなく欧米諸国も同じであり、だからこそ移民問題は厄介なのです。

現状では、国民が声を上げようが、不良外国人問題が国会で取りざたされようが、何も変わりません。それだけ「人権」「差別」「ヘイト」「レイシズム」というマジックワードには、特別な力があるのです。

 

不良外国人の姿は、国を失い、歴史を失い、文化を失い、精神性を失った未来の日本人の姿です。実際、日本人は徐々に守るものを持たない民族になりつつありますし、むしろその方が人として正しいと考える人も増えています。

国内には不良外国人を少数弱者と見なし、好んで味方をする日本人が居ますが、地域住民が被る迷惑を無視するならば、その行為は偽善自己陶酔と言われても仕方がありません。

不良外国人の背景と立場を知るべきだと言う意見もありますが、日本の一般市民が全世界の国内事情を正確に把握できる訳がありません。それを言うなら、来日した外国人が日本の国内事情を理解し、尊重する方が先に決まっています。

 

我々日本人には、日本をより良い国にして、次の世代に託す義務があります。外国人の事ばかり考えて、我らの子孫を亡国の民にしてしまってはいけないし、そんな事になったら必ず子孫から恨まれます。

それは外国も同じであって、いくら「日本の都合も考えてくれ!」と訴えた所で、図々しいと思われるのが関の山です。そこで外交という駆け引きが重要になるのですが、日本人は話せば分かると思い込む傾向がある為、駆け引きが苦手です。

当然、不良外国人とその支援団体は全力で駆け引きを仕掛けてきますし、その勝負に負ければ大変な事になります。優先順位線引きを間違えれば駆け引きに負けるのは当然ですし、負け続ければ次世代に託すべきものは残せません。

 

実際、戦後の日本は駆け引きに負け続けていて、知らないうちに様々なものを失っています。世界規模のグローバルな助け合いも結構ですが、まず我々日本人は自国の国益を最優先に考える癖をつけなければなりません。

その上で、自分達の権利を主張し、利益を求める外国人とキチンと話し合えば良いのです。強い方が交渉や駆け引きで勝つのは当たり前ですし、負けたくないなら勝つ為の正しい努力を積み重ねるしかありません。

外国人が外国で不利なのは当たり前ですし、外国で犯罪や不法行為に走ったり、スラップ訴訟を起こすのは論外です。「アイツ等は汚い手を使って強引に居座っている」と言われたくなければ、日本の法律とマナーを守るしかありません。

 

日本は日本人の為に存在する国であり、我々日本人にとっての本拠地(ホーム)です。もし不良外国人に国を奪われたら、敵地(アウェイ)となったこの土地で肩身の狭い思いをしながら生きていく羽目になります。

多文化共生主義は、マルクス主義と同じで、実現不可能な夢物語に過ぎません。身も蓋もない言い方になりますが、地球上から戦争と差別は無くせないし、ケンカやイジメも無くなりません。何故なら、人間の認識能力そのものが差別を生むように出来ているからです。

地球は戦いの星であり、人間は我執と差別の申し子です。ならば、せめて戦いの美学くらいは身に付けるべきではないでしょうか。

 

日本人としてのアイデンティティ

 

今週はお出かけもせず、ずっとnoteの有料記事を書いてました。本当はキャンプに行きたかったのですが、このままでは日本がヤバいという危機感が強過ぎて、記事書きを優先せずには居られなかったのです。

TVニュースでも報道されましたが、2024年2月28日に不法滞在外国人の在留ガイドラインの見直し案が提出されました。しかし、その内容は酷いもので、ザル法骨抜き法案と言われても仕方がない内容です。

要するに、日本政府は西側諸国の移民受け入れ政策が失敗したのを知りながら、一周遅れで追従しているのです。これは我が国に政治の決定権が無い事を意味しており、いわゆる国際協調とは全く次元が異なります。

 

西側諸国の価値観はキリスト教がベースになっていますが、現在のキリスト教キリスト教神学(以下、神学)が中心になっていて、そこから人権や人道主義といった価値観が生まれています。

神学はイエスの教えそのものではなく、仏教に例えるなら大乗仏教のような立ち位置です。しかし、覚者の結集によって成立した大乗仏教とは違って、神学は悟った人が体系化した学問ではありません。

神学は解釈に解釈を継ぎ足すだけの学問なので、国際社会を正しい方向に導く事などは到底出来ません。それなのに、キリスト教従は国連を介して世界各国の政治に口を出し、不要な混乱を招いています。

 

日本政府は西側と協調する事で、国連での地位を高めたいのでしょうけど、残念ながらその試みは上手く行きません。日本は第二次世界大戦の敗戦国であり、軍隊を持たない国なので、戦勝国が好きに使えるATMにしかなれないのです。

ただでさえ国連での地位が低いのに、協調性も無いとなれば、地位向上など不可能です。故・安倍晋三氏は国際社会で存在感を示していましたが、現在は力量ある政治家が居らず、外圧に屈するしかない状況です。

この状況で、力を背景にディール(取引)を吹っかけてくるトランプ氏が大統領に再選されれば、取引が下手な我が国は危機的な状況に陥ります。唯一の希望は、少しづつ「西側の価値観は絶対ではない」と気づく人が増えている事です。

 

フィリピン16代大統領のロドリゴ・ドゥテルテ氏は、超法規的殺人指令によって麻薬犯罪組織を撲滅しました。氏はその際、人道主義を完全に無視していた為、西側から処刑人と激しく非難されています。

中米の小国・エルサルバドルでは、ナジブ・ブケレ大統領が強権的な手段でギャングを取り締まり、治安回復を成し遂げました。西側からは批判されましたが、ブケレ大統領は「あなたたちの言うとおりにしても、平和にはならなかった」と反論しています。

フィリピンとエルサルバドルは国家の危機だったのに、西側は自分達の価値観(というか理想論)の押し付けに終始していました。しかも民主的に選ばれて、キチンと結果を出した大統領を独裁者と罵りながら・・・。

 

西側諸国の傲慢さかましは、神学に端を発しています。国内にも西側の価値観に影響された人が大勢居て、日々メディアで低劣な人間性をさらけ出しながら、自国民のマインドコントロールに勤しんでいます。

マルクス主義者や、国粋主義者も大概ですが、幸いな事に衰退勢力に成り始めているので、そのうち何処かに吸収され、消えて無くなると思います。それよりも、日本人としてのアイデンティティになり得る思想や宗教が無い事の方が問題です。

明治政府は天皇を頂点とする国家神道を打ち出しましたが、結果だけ見れば大失敗です。神社神道では国民を纏められませんし、外来の宗教である仏教は論外です。これでは神学ベースの人権主義や、人道主義に対抗できません。

 

日本古来の「和の思想」に磨きをかければ、新たな精神的支柱になる可能性は十分にあります。しかし、世界的には美徳を弱さと見る野蛮な国の方が多いので、少々危険な賭けになるかも知れません。

現在の幼稚な個人主義を中心とした雑多な思想、雑多な宗教のままで行けば、いくらもしない内に我が国は滅びます。何故なら、全然纏まりの無い国を侵略するのは、とても簡単だからです。

因みに、自国を守ろうとしなかった人間は、外国に逃げても裏切者として扱われます。日本が植民地になっても構わない、命さえあれば良いと考える人も居ますが、チベットウイグルの惨状を見れば、国を奪われた民の辛苦が分かる筈です。

 

国や民族のアイデンティティに関する問題は、ちょっとやそっとでは解決しません。とりあえず今しなければならないのは、国民ひとりひとりが知的レベルを上げる事ですが、その前に必ず各種マインドコントロールの解除をしなければなりません。

何故なら、この過程をすっ飛ばすと、己の認知の歪みを正す事が出来ず、結論ありきでものを言う愚者にしかなれないからです。

 

一神教と多神教の共存は難しい

 

日本には無宗教の人が多いと言われています。自宅に神棚や仏壇を置かない世帯は全体の6割にもなるそうですが、神仏を完全否定する人は少数派で、殆どの人は宗教や信仰に関心が無いだけだと思います。

日本は宗教に対して良くも悪くも適当ですが、だからこそ他宗教や他宗派との軋轢が生じ難いというのはあると思います。でも、日本文化の根底には神道と仏教があり、殆どの国民が知らず知らずのうちに宗教の恩恵を受けています。

文化の違いは宗教の違いであり、宗教は信者の死生観に大きな影響を与えます。何故なら、宗教は世界の始まり終わりを説くもので、創世の神話死後の世界はセットだからです。

 

宗教は「人間は何処から来て、何処へ行くのか?」「人はどう生きるべきか?」という人生問題への答えであり、人生の指針です。日本土着の宗教である神道と、外来の宗教である仏教では死生観が異なりますが、先人の知恵と工夫によって神仏習合という形に落ち着きました。

現在、日本国は多文化共生社会を目指していて、異なる文化と宗教を持つ外国人を大量に受け入れようとしています。神道と仏教が共存したように、異国の宗教とも共存出来れば良いのですが、その雲行きは怪しいと言わざるを得ません。

来日する外国人は、創世の唯一神に従うキリスト教か、イスラム教徒が殆どです。これら一神教の教義は、多神教に属する神道や(大乗)仏教とは嚙み合わないので、どちらか一方が折れるか消滅するまで対立が続く可能性が高いのです。

 

キリスト教ユダヤ教から派生した宗教で、16世紀頃から宣教師が布教に来ていますが、国内の普及率は僅か1%に留まります。むしろ布教しに来たゴリゴリの宣教師が、日本文化に感化されて、ゆるふわな宗教観を持つようになるそうです。

イスラム教はキリスト教から派生した宗教で、移民や難民の増加と共に国内で信者を増やしています。同じ啓典の民であるユダヤ教徒キリスト教徒には寛容ですが、古代インド仏教を滅ぼしたり、多神教ヒンドゥー教徒と揉め事を起こしたりします。

日本も多神教の国家なので、イスラム教との相性は良くありません。実際、イスラム教徒が神社で暴れて賽銭箱を壊したり、価値観の違いから地域住民と衝突するなどのトラブルが発生しています。

 

一神教の信者達は、死後の世界や最後の審判については半信半疑でも、神の無謬性(むびゅうせい)だけは決して疑いません。神は絶対に正しく、その教えに従う我々もまた絶対に正しいという論理だけは、文字通り「死んでも」手放さないのです。

何を正しいと信じるかは、その人の勝手です。何故なら、この世に絶対正しいものなど存在しないからです。正しいとか間違いだとかは二元論的な思考の産物であって、飽くまでも人間の判断に過ぎません

でも、地獄の存在は疑うのに、神の無謬性を疑わないのは、自分の正しさに疑念を持つのが嫌だからではないでしょうか。自分は正しい、自分は間違っていないと信じたいから、神を信じているだけではないでしょうか。

 

キリスト教徒は今更ですが、イスラム教徒の移民や難民をそのまま国内に迎え入れれば、獅子身中の虫となるのは明らかです。日本政府は「大切に扱えば同化してくれる」と考えているようですが、それは非現実的な発想です。

外国人は異教徒なのですから、日本と同化する意思が無ければ共存は不可能です。そして日本と同化するという事は、これまで信じてきた宗教を捨てるのと同じです。これは逆も真なりで、我々が外国に移住するなら現地人と同化する必要があります。

単なる文化交流とは違って、外国への移住は相当な覚悟が必要です。外来種が生態系に悪影響を及ぼすように、異教の地で自国の流儀を貫く人ばかりになったら、移住先の国の文化を損ねてしまいます。

 

日本の宗教と文化を尊重し、共存する気が無い者は、ただの侵略者に過ぎません。侵略者を放置すれば、国の根底を成す宗教と文化が破壊され、長きに渡って祀ってきた神仏との関係も断絶します。

新たな宗教を生み出すのは簡単ですが、新しい文化を生み出すのは容易ではなく、数十年から百年単位の時間がかかります。調和を生み出すハイレベルな文化が育つまでは混乱と衝突が続き、民族全体の精神性も向上しません。

それは我が国の歴史を振り返ったり、マルクス主義に影響されて文化を捨て去った国の惨状を見れば分かります。自国の宗教と文化は子々孫々と受け継がれてきた叡智であり、我々の背景や土台となって下支えしてくれる掛け替えの無いものなのです。