清濁思龍の雑話録

遁世と修道

絶望と無気力から立ち直るには

 

出会った四年前に比べれば、確実に茶柱さんの鬱症状は軽くなってきています。しかし、相変わらず無気力で、生活維持に必要な料理や掃除を継続して行う事が出来ず、ちょっとした事で激しく落ち込んで動けなくなったり、人生を投げ出そうとします。

また、自信の無さと依頼心の高さから問題解決能力がゼロに等しく、トラブルが発生すると高確率でパニックになります。このような状態では一般就労など不可能ですから、やむを得ず障害年金を受給し、就労支援B型の作業所に通っています。

メイン作業はPCリモートですが、週一の通所も含まれています。しかし、茶柱さんは自身の体調と時間の管理が苦手なので、毎回遅刻しそうになってヒステリーを起こします。

 

地域の社会福祉法人や、障碍者支援センターとも連携を取っていますが、他の利用者に比べれば茶柱さんの障碍は程度が軽く、私という同居者も居る所為か、何かと後回しにされがちです。

とは言え、24時間のワンオペ介助は負担が大きく、ついため息が出てしまう事もあります。でも、そのため息を茶柱さんに聞かれるとパニックが始まるので、迂闊な真似は出来ません。

本来、私の役割は偽覚者・伊勢菊理の呪詛を解く所までで、その役割もとっくの昔に終わっています。鬱病は専門外なので、医療と福祉に繋いだ時点でお役御免の筈ですが、未だにルームシェアを続けているのは、今はまだ繋いだ手を離せないからです。

 

医療と福祉は決められた事しか出来ないし、毒親が居る実家にも帰せません。しんどいからと言って私が手を離したら、茶柱さんは確実に野垂れ死にします。因みに、野垂れ死にの「野垂れ」は当て字で、本来は「這う、または倒れる」という意味だそうです。

日本は先進国を標榜しており、ハイレベルな医療と福祉を誇っていますが、病気か何かで働けなくなると、急に野垂れ死にする可能性が出てきます。働けなくなっても貯金があれば生きていけますが、お金が無くなった時点で詰んでしまいます。

思うに、国内のブラック企業が駆逐されないのは、誰もが潜在的に持っている「野垂れ死にの恐怖」に付け込んでいるからではないでしょうか? もし農耕や狩猟、採集での自給自足が簡単に出来るなら、自殺者の数は大幅に減るのではないでしょうか?

 

私は幼少期に毒親から虐待され、学校ではイジメられ、社会に出てからはチンピラ社員とモンスター・クレーマーに悩まされました。また、奴等が際限なく生み出すブルシット・ジョブに忙殺されて、何度も絶望的な状況に立たされました。

幸いにも私は独身で、それなりに貯金もあったので、退職して隠遁生活に入れました。だからと言って、競争で成り立つ資本主義社会の歪(いびつ)さと、ハンディキャップを持つ人達の苦しみから目を逸らす事は出来ません。

発達障碍は社会的に理解されつつあるので、茶柱さんも年金を受給する事が出来ましたが、毒親問題への理解は殆ど進んでいません。その証拠に、東京・歌舞伎町に身を寄せる「トー横キッズ」は晒し物にされ、歌舞伎町からも排除されてしまいました。

 

トー横キッズは家庭で十分な愛情を注がれておらず、社会に適応する為に必要な教育も受けていないので、精神的に幼稚です。その為ストレス耐性も幼児並みに低く、辛い事や嫌な事があると逃げ出して、楽な方に流れていきます。

若い女子には楽に稼ぐ方法があるので、その金に悪い仲間や、出来損ないの大人モドキが群がります。生きる為とは言え、一度でも悪党の支配下に入ると、そう簡単には抜け出せなくなります。それはキッズも薄々分かっているようです。

絶望の未来と生き辛さから一時的にでも逃れようと、リストカットや薬物の過剰摂取をするキッズが大勢居ますし、酷い環境で生き残る為に悪事に手を染める愚かなキッズも居ます。残念ながら、ここまで堕ちてしまうと、一般人の手には負えません。

 

社会の最底辺からキッズを救う方法はただ一つ、成熟した大人が手を差し伸べる事のみです。信頼できる大人との出会いがキッズに気力を与え、絶望の淵から救い出します。心温もる信頼関係こそが、絶望と無気力の特効薬なのです。

当然の事ながら、身勝手な悪党や、自分の事で精一杯な人には、この特効薬を処方する事は出来ません。苦しむ他人を救えるのは、同じ苦しみを乗り越えた人か、生まれつきハイスペックで他人を支える余裕がある人だけです。

茶柱さんも以前は酷い状態でしたが、少なくとも今は絶望していないし、死にたいとも思わなくなったそうです。今の私では力不足で生きる気力を与えるまでには至りませんが、それ故に精進と工夫を続けなければいけません。

 

偽覚者に騙された茶柱さんは私でなければ救えませんが、私では悪党の支配下にあるトー横キッズを救えません。悪党よりも立場が強い国家機構の人間ならばキッズを救えますが、マインドコントロールに苦しむ茶柱さんを救う事は出来ません。

私と国家機構の人間では、問題を乗り越える力と、与えられる希望の種類が違うので、救える相手も違います。この世には成熟した自分だけに救える人が居て、成熟を拒否したり、成熟に失敗すれば救えなくなります。

であるならば、成熟は即ち善であり、未熟さは悪と考えても間違いではないと思います。