清濁思龍の雑話録

遁世と修道

防災を修道の視点で考える

 

2024年1月1日、石川県能登半島に震度七の大地震が発生しました。揺れによる家屋の倒壊、火災、津波の発生と、その被害は甚大でした。翌日には自衛隊が派遣されましたが、初動が遅いと批判されています。

能登半島は「陸の孤島」と呼ばれていて、自衛隊幹部も「一番起きてほしくない場所で起こった」と嘆くような地形です。私が2019年に曹洞宗大本山總持寺祖院と、一之宮・氣多大社に参拝した時も、幹線道路の少なさには悩まされました。

能登半島はそういう場所なので、救助活動や各種の復旧作業が難航する事は容易に想像出来ました。個人で支援物資を送ろうにも、あの地形ではまず届かないと判断したので、現金による支援を行いました。

 

2011年の東日本大震災が発生した時は東京に住んでいたので、軽微な被害しか受けませんでした。でも、あの時から私の中に強い防災意識が芽生え、それは今も成長し続けています。ミニマリズムとミニマム・キャンプに強い関心があるのも、その為です。

私は「何が何でも生き延びたい」と思っているのではなく、有事の際でもキチンと「人間性を維持したい」と思うからこそ、今から備えているのです。被災のストレスに耐えきれず、本能の赴くままに悪事を重ねるくらいなら、自ら死を選ぶ方がマシです。

つまり、私にとって防災とは、己の生存本能や生存欲求を飼い慣らしつつ、自らの命と誇りを守る為のものなのです。人として生きるのは大変ですが、獣に堕しては生きる意味そのものがありません。

 

平時に善人ぶってギャンギャン喚くのと、有事の際に善を貫くのとでは、難易度がまるで違います。善とは平時に積み上げた努力と工夫に根差すものであり、有事の際にこそ本領を発揮するものです。

本気で他人を助けたい、誰かの役に立ちたいと思うのであれば、有事でも余裕を保てるくらいに自己を高めておかねばなりません。しっかりと自分の足で立ってこそ、他人を支える事も出来るのです。

とは言え、常日頃から最大限に備えていても、全く通用しなかったというケースも多々あります。そういう時は遠慮なく他人の助けを求めれば良いですし、そういう人を助けられる自分で在りたいものです。

 

という訳で、南海トラフ地震に備えて、茶柱さんと一緒にデイ・キャンプに行ってきました。この日は防災の観点から、避難所で余りがちな燃料用アルコールを使った炊飯の練習をしました。

使用したギアは、100均で購入した小型・中型の親子メスティンと、ポケット・ストーブ、そしてポケット・ストーブに収まる超小型アルコール・ストーブというセットです。因みに、超小型アルストはド〇キでも販売しています。

先に小型メスティンで普通に炊飯した後、SNSで紹介されていた「アイラップを使用した炊飯法」を中型メスティンで試してみました。この炊飯法だと食後に食器を洗う必要が無いので、水不足の被災地で重宝するという話です。

 

 

 

実際にやってみた所、メスティンがあるならアイラップは要らないという結論が出ました。何故なら、食後のメスティンに蓋をした状態で少量の湯を沸かせば、蒸気で汚れが落ちるし、ついでにカトラリーの殺菌も出来るからです。

自宅避難ならメスティン炊飯が最強ですが、避難所で大人数の炊飯をする時は、アイラップ炊飯が真価を発揮する事でしょう。

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