清濁思龍の雑話録

遁世と修道

選挙妨害とエディプス・コンプレックス

東京15区での選挙妨害が話題になっています。選挙妨害は民主主義の否定ですから、今の日本では絶対に許されない行為です。でも、第二次安倍政権から「選挙妨害も言論・表現の自由に含まれる」という暴論が罷り通るようになってしまいました。

故・安倍元総理と国内の左派は、安保法案の成立を巡って対立していました。安倍氏が街頭演説を行うと、左派が垂れ幕やプラカードを掲げながら大声でヤジを飛ばして、安倍氏の主張をかき消そうとしていました。

北海道での街頭演説で道警がヤジを排除した時は、札幌高裁が「ヤジは表現の自由に含まれる」という内容の判決を下し、それ以降はヤジに歯止めをかけられなくなりました。それは悪意に満ちた組織的な選挙妨害が、実質的に合法化されたのと同じです。

 

国内の左派は「戦争を止める為なら実力行使もやむを得ない」という矛盾した思考回路を持っている為、自分達の思想と真逆の人物には平然とテロを仕掛けてきます。テロとはテロリズムの略で、暴力と威圧によって政治的な目的を達成しようとするものです。

普段は「如何なる問題も対話で解決できる!」とか「酒でも酌み交わして仲よくなろう!」と言っている人達が、数の暴力安倍氏の話を遮り黙らせようとしていたのに、自分達の言動がおかしいとは思わず、言い訳ばかり。これが国内左派の実態です。

挙句の果てに、大学教授ともあろうものが「(安倍氏の)暗殺が成功して良かった」などとぬかす始末。私個人は、山上被告に対して「あんな真似をさせて済まない、これは統一教会を野放しにした日本人全員の罪だ」と申し訳なく思いました。

 

左派の思考が破綻しているのは、反戦平和、自由平等、人権人道という錦の御旗・大正義に自己を委ねているからです。要はマインドコントロールによって「自分の頭で考えていると思わされている」だけで、実際は悪党の思惑通りに動かされているのです。

選挙妨害については、左派が開けた法の抜け穴を、金の為なら何でもやる怪物が悪用したという話です。しかし、既存メディアやSNSを見る限り、これで左派が反省して、マインドコントロールから覚めたようには見えません。

自信過剰なインテリほど、マインドコントロールに嵌るとドップリと浸かって抜けられなくなるものですが、精神面に幼稚さが残っているからです。幼稚だからこそ、自分以外の誰かが打ち立てた錦の御旗・大正義に飛びついて、疑おうともしないのです。

 

日本に生まれながら、日本人に成り切れず、成り切れない理由を知らないまま地球市民を気取り、人種差別まる出しの一神教徒を先進的と崇め奉り、彼らが何かを断言すると「その通り、日本は遅れている!」とアッサリ同調してしまう。

「国防の為なら戦争も止む無し」と考える右派をボロカスにこき下ろし、少数弱者と見做した外国人の肩を持ち、戦争反対、差別反対と大声で喚き散らし、正義の為なら暴力も辞さない。

チベットウイグル民族浄化をしている中国や、ウクライナを侵略しているロシアは視界に入れず、真剣に国防を考えていた故・安倍元総理を悪魔化して徹底的に攻撃し、暗殺による死を悼む事さえしない。

 

「こんな人達」に囲まれていたら、人間として成長する訳がありません。

 

個人的には、左派の幼児性の原因は、父性の欠如による所が大きいと思っています。彼らは厳格な愛され方を知らない、母性一辺倒の甘ったれた子供にしか見えないのです。

甘やかされて育った人は、幼児的万能感を克服するのが難しく、大人になっても「何でも自分の思い通りになる」という幻想と、不当に高い自己評価を持ち続けます。この幼児敵万能感と、錦の御旗・大正義が結びつくと、もう手が付けられません。

父性は甘えや思い上がりを許さず、愛のゲンコツを喰らわせて「目を覚ませ!」と怒鳴り付けます。しかし、母性しか知らない人は、この厳しさをただの暴力やハラスメントとしか思いません。

 

今の日本は弱者に優しい母性的な社会なので、何処かで父性を経験しないと「ダメなものはダメ!」と言えない大人になってしまいます。そして父性に欠ける大人に囲まれて育った子供は、厳しさと性格の悪さの区別が出来ないまま大人になります。

左派が故・安倍元総理を敵と見做したのは、軍事的な抑止力という父性的な行動を全く理解出来ず、歪んだ形でエディプス・コンプレックスを炸裂させてしまったからです。「アベ政治を許さない」というスローガンは、駄々っ子のワガママに過ぎないのです。

左派が理想とする「全てを包み込む母性に満ちた優しい社会」を実現するには、父性そのものが邪魔なので、独裁者アベという父性と恐怖の象徴を作り出し、それを打倒する事で自己成長と自己実現を成し遂げようとしたのです。

 

しかし、架空の存在に過ぎない独裁者アベを倒したところで、左派の人達が成長する事はありません。何故なら、故・安倍元総理は左派の実父ではないからです。例え打倒アベを果たしても、それだけでは精神的な父親殺しにはならないのです。

アベ憎しで選挙妨害を常態化させ、結果的に日本の民主主義を破壊しても、左派は責任を取りません。左派にとって「責任を取る」などという父性的で厳しい考え方は否定すべきものであり、人道上の正義と共に在る者には無縁の話だからです。

もし左派の人達が一神教のマインドコントロールを解き、精神的な成熟を求めるなら、真っ先に父性を経験する必要があります。恐らく実父に父性を求めても無駄でしょうから、別の何かに父性を求める事になります。

 

私は毒親持ちで、家庭環境からは何も学べませんでしたが、登山とキャンプを通じて自然環境の父性と母性を学び取りました。山は常に死と隣り合わせですし、野生動物に甘えや人権思想は通用しないので、幼児的万能感を抱えていたら生き残れません。

でも、自然環境は何も拒絶しないし、全てを受け入れてくれる優しい面もあります。父の厳格さと母の受容という相反する要素を持ち合わせ、ただあるがままに在るのが自然環境の姿です。

人間とは違って、自然は何の配慮もしませんが、その代わり悪意の欠片もありません。だからこそ、自然の中では心静かに自己と向き合う事が出来るのです。精神的な成長を求める人が登山をしたり、静かな環境で隠遁生活を送るのは、その為です。