清濁思龍の雑話録

遁世と修道

文明社会と認知の歪み

 

前回の記事で、高千穂は山に囲まれた盆地であり、湧水や河川に恵まれ、狩猟や農耕に勤しむのに適した隠れ里のような場所だと言いました。他の集落と交流する必要が無い原始共産制社会ならは、このような土地の方が都合が良かったのでしょう。

豊かさを求めて文明を発達させると貧富の格差が生じてしまい、将来を悲観する人が増えます。経済的に豊かな先進国より、経済的に貧しい後進国の方が幸福度は高いのは、その為です。

かつて幸福会ヤマギシ会や、インドの有名な覚者・OSHOが作ったコミューン(共同体)は原始共産制に立ち返ろうとしましたが、いくらもしないうちにセクトしてしまいました。この手の大規模な社会実験は、高確率でセクト化して終わるのが常です。

 

何故、コミューンがセクト化するのかと言いますと、それは全人類共通の最優先課題である認知の歪みを正す事ではなく、マインド・コントロールによって問題解決を図ってしまうからです。

マインドコントロールとは、従来の一般常識や価値観を否定し、独自に作り上げた新しい思想の鋳型に他人を押し込める事を言います。家庭や学校での教育もある種のマインドコントロールなのですが、これは人間社会に属する為に必要な社会の洗礼でもあります。

この洗礼を拒否すると、それ以降はアウトロー(無法者)として生きていくしかなくなるので、一旦は必要悪として受け入れなければなりません。形だけでも社会の洗礼を受け入れて社会の一員として周囲から認められた人を、社会人と呼びます。

 

社会人の中にも、犯罪スレスレの行為や、パワハラモラハラ、カスハラなどの各種ハラスメントを常習的に行う社会人に擬態したアウトロー(エセ社会人)が居ます。エセ社会人の正体は、暴力社会に属する侵略者であり、善良な社会人の捕食者です。

エセ社会人が社会的成功を収めて権力を握ると暴君と化し、巧妙なマインドコントロールによって他人を支配し、社会をセクト化させます。早い話、社会のブラック企業です。

このような暴君は倒されて然るべきですし、エセ社会人が成り上がらないよう手を打っておく必要があります。そうするには、誰がエセ社会人かをしっかり見抜き、他の善良な社会人達に「さりげなく」伝えれば充分です。

 

エセ社会人の擬態を見抜ける人が増えていけば、自然に社会は健全化していきます。暴君を打倒したり、その発生を未然に防ぐのは、たったひとりの英雄ではなく、何処にでも居る善良な社会人達です。

暴君やエセ社会人の正体と手口を見抜くには、観察力を養う必要があります。観察力を養うと、自らが属する社会のセクト化を防ぐ事が出来ますし、マインドコントロールや詐欺などにも引っ掛からなくなります。

ある程度まで観察力を高めた人は、一瞥(いちべつ)しただけ物事の本質を見抜いてしまいます。その為、他人から信頼されるようになりますし、何より観察の道である見道(けんどう)によってエゴを超越し、悟りを開く可能性が出てきます。

 

観察の道は、世直しの道であり、徳行の道です。それは経済先進国の豊かさと、原始共産制の幸福度を両立させうる唯一の道でもあります。観察の道は自己観察に始まり、その対象は自己から社会へと拡大していきます。

心の仕組みは誰もが同じなので、自分が分かれば他人も分かるようになり、他人が分かれば社会の仕組みも分かってきます。そして社会の仕組みを見抜いた人は、社会の仕組みに囚われなくなり、その仕組みを上手く使えるようになります。

その時、社会は何時でも脱出可能な牢獄となり、属するも、抜け出すも、全くの自由自在になります。自由を手に入れたら、後は自分の好きに生きれば良いだけです。心の純化自己実現は、真の自由を手にする為の絶対条件なのです。

 

note.com