ことばのおきば

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かむあがり その2

前回、悟りによる輪廻転生からの解脱や、自我復元による地球脱出に比べれば、派生元のグループソウルに帰還する方が容易であり、リーダーがメンバーと共に帰還する事も出来そうだという話をしました。

手順としては、先にリーダーが「かむあがり」をして、後でメンバーを「お迎え」に来るという形になります。ただ、二人の関係が相当に深くないと、亡くなって霊団に帰還した時に、メンバーの事を忘れてしまう可能性が高いです。

師弟関係を結んでいたり、長らく刎頸の友だったというならともかく、ちょっと仲が良かったくらいの関係だと、リーダーが自分の都合を優先する筈です。つまり、無意識に手を差し伸べてしまうくらいの、強力な縁が必要になるという事です。

 

これが男女の関係なら、性交という強力な縁結びの手段があるので、話が早いんですよね。まあ、それも単に異性とヤれば良いという話ではなく、霊団の縁者と出会って、仲良くなって、その上で致さないと、殆ど意味が無いと思いますけど。

例えば、私が死んで霊団に帰還した後、前カノを「お迎え」に行って、共に帰還する事が出来るのかと言えば、それは無理だと思います。何故なら、前カノに帰還の意思が無いからです。

もし連れ帰る事に成功しても、霊団に帰還した後、家族の守護霊になったり、また人間に生まれ変わろうとする筈です。これでは普通の輪廻転生と何も変わりません。要するに、前カノは「もう生まれ変わらない」という選択肢を持っていないのです。

 

人が生まれ変わるのは、意識の最も深い部分で「何かを成し遂げたい」と思っているからであり、スピリチュアルではその思いを「魂の命令」と呼んでいます。もう確かめようが無いですけど、無明庵で「原主体」と呼称していたものも、恐らくはこれです。

「魂の命令」は、熱意や情熱としか言えない感情そのものであり、どこまでも真っ直ぐな「生きる意思」そのものです。本来なら言語化など不可能な思いですが、私は敢えて「成し遂げたい」と表現しました。

この「魂の命令」を遂行するまでは、生前、どんなに良い思いをしようが、酷い目に遭おうが、コロッと忘れて、また人間に生まれる事を望んでしまうんです。つまり、みんな命令遂行の結果(人生の意味)を知りたくて、仕方が無いんですな。

 

男性は思索に耽るのが好きなので、最初は自分なりに答えを出そうとしますが、そのうち「かんながらの道」や「如来誓願」といった、他人が出した答えに飛びついてしまいます。

女性は愛する夫と家族を得る事で「魂の命令」を満たそうとするので、共に帰還する形の「かむあがり」に向いています。しかし、それは男性リーダーの力量に依存する形になるので、大抵は共倒れに終わります。

女性は生殖本能が強過ぎて、真理の探究や、魂の命令などという面倒な話には、あまり関心を持てません。その代わり、優れた男性リーダーを得られれば、本人の主体性などは関係無しに、一気に霊的な高みに昇れるポテンシャルを秘めています。

 

日本国内では、オウム真理教などのカルト宗教の影響により、全面的に師に従う形の古いグルイズムは否定されがちです。でも、女性は出産・育児という一大行法を修めなければならないので、他の行法を修めている余裕がありません。

出産・育児を終えた(もしくは諦めた)女性なら、心から信頼する男性リーダーから派生元の霊団に帰還する方法を教われば、共に「かむあがり」する事を考える可能性は高いです。

男性主導の「かむあがり」やタントラは、女性を輪廻転生から救い出す、数少ない手段の一つと考えて良いでしょう。