ことばのおきば

不定期更新

反政府、反正義、反英雄

前回の記事で、私は思想も、誇りも、尊厳も無い日本社会に魅力を感じないと言いました。ただ、本当に絶望的なのは、一線を越えるまで「強制力」が働かないという所です。

国家が国民に命令して従わせる力を「公権力」と言うのですが、公権力の行使が人権侵害を引き起こす場合もあるとして、激しく反発する人達が居ます。この手の人達は「国家=暴力装置」とする極端な思想の持ち主であり、事実上の反政府勢力です。

極左の反政府勢力は、国内外の共産主義者と連携して「国家権力が強まれば国民は戦争に駆り出される」と喚き散らして、国家の力を削ごうとしてきます。でも、肝心なのは国家権力を弱める事ではなく、正しく使う事です。

 

その為に法整備を進めたり、第三者による代理人(オンブズマン)制度を設置するなど、出来る事はいくらでもあります。でも、反政府勢力は「革命を起こして政府を倒し、気持ち良くなりたい」だけで、その先までは考えていません。

結局、反政府勢力は、共産主義団体やテロリスト集団などの反社会勢力に吸収され、いいように操られて使い捨てられる運命にあります。それは暴走族に入った非行少年が、ケツ持ちヤクザに頭が上がらなくなるのと同じ構造です。

以前、SEALDsという学生運動がありましたが、勢力が拡大するにつれて、朝日新聞や、日本共産党民主党などがすり寄って来て、最後は共産党との関係が明らかになり、参加者が激減、解散という流れになりました。

 

暴力的な反政府勢力や反社会勢力に対して、個人や少数団体で対抗するのは困難です。国家の公権力が弱まれば反社に対抗出来なくなり、治安が低下します。極論すると「国家の主な役割は、国内の反社や、海外の敵国の頭を抑えつける事」とも言えるのです。

なのに公権力は低下の一途を辿り、警察でさえ反社に「お願い」する事しか出来なくなってきています。日本が犯罪者に優しく、外国のスパイにも寛大な国になったのは、公権力の恐怖を煽る反政府勢力を放置してきたからです。

マトモな思考回路を持つ人は、今の日本で政治家になろうとは思いません。何故なら、どんなに国の為に働いても、大多数の国民は無関心。常に反政府勢力に敵視され、メディアに叩かれるという、リスキーでストレスフルなお仕事だからです。

 

また、会社は国家の縮図なので、管理職と法曹三者の立場には似ている部分があります。例えば、社内の反社とも言える「働かないおじさん」に対して、管理職が働いてくれと「お願い」をする事しか出来ない所などは、そのまんま同じですよね。

私も長らく勘違いをしていたのですが、上司は部下への「強制力」を持っていないんですよ。部下は「職務放棄の権利」を持っていないけど、放棄した所で懲罰は無し。だから真面目な人を犠牲にするか、暴力という毒を以って毒を制するしか無いんです。

思うに、管理職が罰ゲーム化したのも、上司としての責任の重さに比べて、権限や裁量が無さ過ぎるからではないでしょうか。

 

確かに自民党は腐敗し切っていて、公権力を持たせるのは不安です。でも、故・安倍晋三氏は、あの裏金議員どもの頭を抑えつけて、国の舵取りをしていた訳ですよ。左翼連中は今でも安倍氏を悪魔扱いしていますが、奴らでは国の解体しか出来ません。

本来、自由とは怖いものであって、ルールや法律は「自由の恐怖」に対抗する為に作られたものです。そしてルールや法律は深い洞察と経験則から作られるべきもので、こうなって欲しいという理想をルールや法律にしても上手くは行きません。

畢竟、弱肉強食は世の習いであり、暴力が根底にある所は人間社会も野生とそんなに変わりません。敢えて辛辣な言い方をするなら、人間と動物の違いは「言い訳と責任転嫁をするだけの知恵があるかないか」くらいじゃないですかね。