2024年10月1日は、約25年間に渡る会社員時代の総括が完了した、記念すべき日になりました。でも、総括の内容は散々だったので、翌日の2日は鬱状態になってしまって、記事を書く気力が湧きませんでした。
今日になって、ちょっとだけ気力が戻ってきましたが、まだ鬱状態は続いていて、死にたい気持ちが強くあります。まあ、絶望には慣れっこですし、今から通勤という訳でもないので、別に心配する必要はありません。
改めて、私は発達障碍&毒親持ちで、生まれた時から人生終了していて、いくら努力しても決して報われず、無駄な足掻きにしかならないという事を再確認しました。散々悩まされたコミュ障にしても、発達由来ですからね。どうしようもないッス。
人間のエゴにとって絶望は死に至る病ですが、悟りの視点からすると、必ずしも悪い事ではありません。だって、それは「何もしなくて良い」という事ですから。本来、明るい未来も、生きる努力も、必要の無いものなんです。
でも、悟る前の若い私はそれを良しとせず、必死で足掻きました。でも、無駄に事を荒立てただけで、何一つ上手く行かず、二十代前半で疲れ果ててしまいました。それが切っ掛けで悟りはしたものの、それ以外は何も上手く行きませんでした。
何故上手く行かなかったのかと言うと、それは私が人の優しさや、温かい人間関係に飢えていたからです。飢餓感から動くと他人を利用する事になるので、不幸な結果しか生まれないんです。エゴの働きとは、そういうものなんです。
だから、私は下手に頑張ったりせず、言われるままに仕事をして、それ以外の時間はゲームに費やせば良かったのです。それが「ゲーヲタを生きる」という事であり、私に可能な「最も平和な生き方」だったのです。
それが出来なかったのは心が飢えていたからであり、欠乏感から動いた結果、周囲を傷つけ、自分も傷つき、何一つとして「良いもの」を生み出せなかったんですね。こんな生き方で苦しむのは当たり前ですし、どうなっても自業自得です。
もしパラレル・ワールドというものがあったとして、ゲーヲタ人生をフルに楽しんでいる別の自分と話が出来るなら、全力で「GJ!」と言い、サムズアップしてあげたいです。尤も、その私は非悟り非モテで、死んだ目をしているとは思いますが・・・。
人間は「エゴを生きる」事しか出来ないので、誰も人生も決して美しいものにはなりません。本人が無神経で気づけないというだけで、社会的成功者の足元には必ず弱者の亡骸が転がっています。
その事実に気づき、生きる事に罪悪感を持ってしまった人は、もう人生を楽しめません。それは正常と言えば正常ですが、生きる事を良しとする人からすれば、何を苦しんでいるのかサッパリ分からない筈です。
人畜無害な生など目指せるものではありませんが、努力しても何も出来なかった人は、人畜無害な生に近いと言えます。それは本人にとって絶望の日々かも知れませんが、その中にもキラリと光る喜びはある筈です。
それのみが、本物の感謝と、謙虚さの源になり得ます。というか、このような体験よりも大切なものが、他にあるのでしょうか?
努力と工夫の末に掴むのは、達成感と自己満足です。でも、誰かの順風満帆な人生は、周囲にとっては無自覚な不幸でしかありません。根拠の無い自信を持ち、調子こいてるパリピが嫌われるのは、本当にロクなもんじゃないからです。
自分自身が何者かであろうとしているうちは、そうでないものを愛し、受け入れる事は出来ません。大切なのは、何者かになろうとする事ではなく、何者でもない自分と、何物でもない世界を愛し、受け入れる事です。
全部が全部、どうでも良い。どちらに転ぼうが、オールオッケー。これが悟りです。愛と受容そのものになる為の全面的な放棄のみが、悟りの修行と言えるものなのです。そして大自然の意識(神)は、全面放棄の意思が無い者を「仲間」とは見做しません。
社会的な敗北や、人生の挫折は苦痛ですが、それは神に近づくファーストステップでもあります。エゴの支配下にあるから、敗北と挫折を苦痛に感じるのです。でも、エゴを超越すれば、エゴが原動力の人間社会から「食み出せた」という安心感を楽しめます。
人間社会や、人間のエゴを嫌ったり、憎んだりしているうちはまだまだです。それは愛と好意の裏返しだからです。裏切られたと感じるのは、心の底では期待していたからです。期待していなければ、裏切られたと感じる事もありません。
そういう意味では、私が社会でやってきた事は、監獄の中で囚人に「エゴを手放せ!」と食い下がるようなもので、本人達が望んでないものをゴリ押しして、余計な反発を招いただけだったんだなぁと・・・。
ってか、毒を以って毒を制するしか無い場所で、毒(暴力)を禁じてどうするんだって話ですよね。まあ、それは私に悪党を制するだけの毒が備わっておらず、出世して「権力と言う名の毒」を得る事も叶わなかったというだけなのですが。
昔なら、私みたいなのは人里離れた場所で自給自足の生活を送るしか無かったと思いますが、今はお金さえあれば市井のド真ん中で遁世者として生きていけます。いやはや、良い時代になったものですな。