ことばのおきば

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福翁自伝に思う事

私は発達障碍であり、毒親持ちであり、ゲームヲタであり、スピヲタであり、中高年のひきこもりです。自分で言うのも何ですが、社会的には完全に終わっていて、もはや死人か廃人と言っても良い状態だと思いますw

それでも笑っていられるのは、会社員時代に築いた財と、ブログ稼業があるからです。職場の連中との関係は最悪だったので、今でも思い出して「クソがぁ!」となりますが、上から仕事ぶりと人間性を評価されていたのは私の方でしたよ。

でも、毒親由来の世渡り下手で、ワーキングメモリーも猿並み猿以下だったので、周囲から舐められまくりなのはしんどかったですねぇ。下に見られるとスケープゴートにされて、理不尽な扱いを受けて忙殺されるので、黙っている訳にはいかないんですよ。

 

そういうのも本来なら上司が対応すべき事ですが、その上司がカルト宗教の信者だったので、逆に「我慢しろ」だの「大人になれ」だのと言われる始末でした。まあ、上司本人が宗教の奴隷なので、そういう発想になるのかも知れませんね。

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因みに、退職願いを提出する際、上に事実を報告したら、その上司は左遷されました。部下を辞めさせたのも同然ですから、そりゃそうなりますわな。実際は記事書きに専念したくて仕方が無いから、退職を決意したのですけど。

何故こんな話をしているのかと言いますと、SNS福沢諭吉自伝の話を目にしたからです。百姓に横柄な態度で接すると、百姓は丁寧親切になり、紳士的かつ丁重に接すると、舐められて馬鹿にされるという、マウンティングの重要性を説く話です。

知的教育を受けていない人は、弱肉強食の世界に生きているので、その価値観に合わせる必要がある訳です。そして服装は、見た目だけで上下関係を分からせる、マストなツールでもあるんですね。ヤンキーが派手な格好をしたがる理由はこれです。

 

当然、知的教育を受けている人が相手だと、この手のマウンティングは逆効果になります。横柄な態度をとれば反感を買い、丁寧に話せば誠実に対応してくれるというのは「立派な社会人の発想」であって、そういう価値観は底辺では通用しないんです。

今の私は遁世者なので、立派な社会人として振る舞ったり、横柄な態度でマウントを取ろうとする必要はありません。でも、丁寧で誠実な世界が好きなので、誰の目も気にする事なく、丁寧で誠実に生きていこうと思っています。

だって、私は「クソがぁ!」とか言ってる自分は好きじゃないもの。