ことばのおきば

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囚人労働と中間管理職

私が会社員を辞めてから、それなりの年月が経ちました。今でも仕事の夢を見てウンザリする事もありますが、ようやく「娑婆っ気が抜けてきた」と思えるようになってきています。

日本の教育は独特で、小学校から強制的に集団行動を叩き込まれ、中学に入ると校則で雁字搦めにされます。賢い人は上手く反抗しますが、愚かな連中は乱暴な反抗の仕方をして、頭を抑えつけられたり、排除されたりします。

愚かだけど真面目な生徒が社会に出ると、上手く反抗する術を身に付けた賢い人に利用されて、愚かな上に乱暴な連中の尻拭いをさせられます。いわゆる「中間管理職の悲哀」という奴です。

 

日本社会は、愚かで真面目な人を犠牲にしないと回らない仕組みになっているのですが、愚かで真面目な人はその事実に気づけません。賢い人は早い段階で仕組みを理解して立身出世に役立てるか、黙って保身に走ります。

その結果、愚かで乱暴な連中が勘違いをして好き勝手をするようになり、愚かで真面目な人がその尻拭いの役回りに就く仕組みが作られました。ただ、この仕組みの所為で、愚かで真面目な人が心労から倒れたり、自殺する社会になるとは思わなかった筈です。

元々は、愚かで乱暴な連中が社会に適応できず、職にあぶれて犯罪に走るのを防ぐ為に、昔の賢い人がこの仕組みを考えたのだと思います。でも、その当時は人権思想が今のような形では無かったので、こんな結末は予測できなかったのでしょう。

 

北海道の網走監獄では、ロシアの侵略に備えて開発を行わなければならず、その労働に囚人を使うという仕組み(囚人労働)が考えられました。囚人労働自体は幕末からありましたが、明治政府は最も大規模かつ、最も過酷な囚人労働の仕組みを考えた訳です。

現代の刑務作業は社会復帰を目的としていますが、囚人労働は懲罰としてハイリスクな労働作業に従事させるものです。しかし、凶悪な犯罪者の人権を無視して管理するのは難しく、暴動が頻繁に起きる事となり、中には殺害された看守も居るそうです。

最終的に、明治27年に国会で「囚人は果たして二重の刑罰を科されるべきか」と追及されて、囚人労働は廃止されました。それには福沢諭吉らが説いた、天賦人権論の影響もあった事と思います。

 

現在、網走監獄の跡地は博物館になっていて、囚人労働の過酷さについて学べるようになっています。これは飽くまでも私個人の推測に過ぎませんが、今の日本が犯罪者に甘いのは、囚人労働の失敗があるからだと思うんですよ。

だって、博物館・網走監獄の展示物で「北海道の繁栄は、尊い犠牲の上になりたっているのを忘れないで」とか言ってるし。個人的には、凶悪犯罪者の管理を任された看守の方が、貧乏クジを引いていると思うんですけどねぇ・・・。

因みに、看守は囚人に恨まれて怪我をさせられる事が多く、その上、いつ起こるか分からない暴動と脱走の警戒で、常に緊張を強いられていたそうです。しかも、食事の内容は囚人以下で、米の飯など滅多に食べられなかったとか。

 

これは博物館の展示物ですが、看守がこれ以下のものしか食べていなかったというのは、流石に嘘臭いですね。展示が嘘なのか、実は看守はもっと良いものを食べていたのか、どっちなんだろ?