人が変われるのは、死を強く実感した時だけです。賢い人は自らの死を予感しただけで変われますが、愚かな人は不死身の妄想に取り憑かれたまま死を迎えます。
生と死は表裏の関係にあり、死への危機感が無ければ、生の実感もありません。高度に発展した文明社会の中に居れば、死のリスクはかなり減りますが、それでもゼロにはなりません。
人生100年の時代と言われていますが、ダラダラと100年生きるより、中身の濃い60年を生きる方が得るものは多くなります。大切なのは、自らの死に時を見極める事です。
そういう意味でも、毎年遺書を書いたり、早めに終活をするのは、とても良い事だと思います。実際、人はいつ死ぬか分かりませんからね。
因みに、ウチの毒父は命に関わる大病を患ったのに、全く終活をしていなかったので、我々遺族は大変な思いをしました。
奴は転勤族だったので、凍結された地銀の通帳を10以上も持っていて、しかもどの通帳にいくら入っているかが分からない状態でした。おかげで母は慣れない手続きに忙殺されて、だいぶ痩せてしまいました。
故人が家族を大切に思っていたかどうかは、遺産相続の時に分かると言っても過言ではありません。事故や急病などで早世しても、キッチリ対策していた人が居るかと思えば、時間があっても何もしない人も居ます。
あと、意外と大切なのは、本籍地の変更です。今はコンビニで戸籍謄本を出せるようになりましたが、地方の限界集落に本籍がある場合、その地域には対応していないと表示される事があります。
また、故人の除籍謄本を取り寄せる際にも余計に時間を取られるので、面倒臭がらず本籍地を変更しておく事をお勧めします。ただ、あまりコロコロ変えると、他の手続きが面倒になりますけどね。
手続きと言えば、マイナンバー・カードも重要です。確かにリスクもありますが、持っていないと不便過ぎて話にならないので、もう所持は義務だと考えた方が良いかも知れません。
崩残先生はマイナンバー制度を全力で拒否していましたが、私は会社員を辞めた時に降参しました。だって、諸々の手続きが全然進まなくなるんだもん。それに、カードを取得しなくても、割り振られた国民番号は消せませんし。
まあ、通帳、戸籍謄本、マイナンバーについて考えると、結果的に生と死に向き合う事になると思うので、とりあえず手を付けた方が良いんじゃないかと思います。