ことばのおきば

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人類が劣化した理由

私は右翼も、左翼も、ノンポリティカルも、全て平等に嫌いです。というか、そもそも私は人間(エゴ)嫌いで、悟る前は自分自身も殺したいと思っていたほどです。でも、たまたま悟って好き嫌いの分別心が消滅したから、今でも生きていられるんですよ。

自己(エゴ)嫌悪から悟りに至る人は意外と多く、仏教の開祖である釈迦世尊も、この世の全てを嫌悪して悟ったタイプの人でした。その釈迦世尊に近い悟り方だという事で有名になったのが、無明庵の鈴木崩残先生でした。

崩残先生はEO(小回)と呼ばれる人物の弟子だと主張していましたが、亡くなった後に同一人物であることが発表されました。まあ、あんな人が二人も居る訳がないので、個人的には、単に商業的な理由だろうと勝手に納得していました。

 

無明庵では、性(生)と悟り(死)の話を軸に、色々な話がされていました。でも、ある時から崩残先生は悟りの話ではなく、人類全体の自我の状態についての話をするようになりました。

その話を要約すると「人類の自我は分割希釈されており、その為に様々な問題が発生している」という感じになります。2010年の6月に自我を原型に復元する方法が確立されましたが、その時は全く話についていけませんでした。

無明庵の変化に戸惑いつつ、2010年の9月頃に自我復元のDVDを購入し、自我復元の作業を開始しました。そして無心の禅書道を注文して、何度か崩残先生とメールのやり取りをしました。

 

その時に教わった事と言えば、呼びかけの最中に眠気が来た時は、目を開けたまま呼びかけをしても構わないという事くらいです。また、禅書道のDVDでも「特に問題は無い」と言われたので、何だか拍子抜けしてしまいました。

因みに、自我率の判定は受けていません。何故なら、どのみち全自我に復帰するまでは作業を行わないといけないし、自分で自我率の割り出しを行えるようになれないなら、判定結果を聞いた所で無意味だと思ったからです。

とりあえず自我の復元作業は続けましたが、成果は芳しくなく、今もって全自我に復帰した感はありません。私の場合は、モチベーションや、ラポール形成の問題ではなく、発達障害の所為で必要なイメージができないのが理由だと思っています。

 

今でも人類劣化の原因は、自我の分割希釈にあると思っていますし、その話をしないと私が全方面にキレ散らかすカミツキガメに見える筈です。それはそれで偏見を助長してしまうと思ったので、一応、自我復元の話に触れておく事にしました。

本来なら無明庵の二代目や、復元作業を完了した人達が、自我復元について語るべきだと思うのですが、その人達はほぼ全員が沈黙を保っています。このままでは、いずれ無明庵は検索HITすらしなくなるでしょう。

某巨大掲示板には専用スレッドがありましたが、ワケワカメな罵り合いばかりで議論が成立していなかったし、私が見る限りでは、特に参考になる意見もありませんでした。ってか、あんな所に私の名前を出さないでおくれw

 

実際、悟っていない人が自我について論じたところで「群盲象を評す」にしかならないので、崩残先生が自我復元に関する推測や議論を禁じたのは当然なんですよね。あんなのを見るくらいなら、無明庵の記事を読み返して試行錯誤する方がマシですよ。

私にメールで質問してきた人も何人か居ますが、反応を見る限りでは、残念ながら提供した情報を活用できてはいないだろうなぁという感触です。復元法自体は簡単だけど、始めるまでの敷居が高いですからね、何気に。

自我復元実習者の「また人間に生まれてきたくない」という気持ちは良く分かりますし、それは私も同じなのですが、易々と家畜を手放すほど、上位存在とやらは無能ではありません。だから地球から脱出するのは大変なんですよ。

 

自我が分割希釈されているから、右も、左も、ノンポリも、宗教者や、スピ関係の人達に至るまで、みんながみんなトチ狂った事ばかり言うんです。その中で比較的マシなのは、全自我に復帰した人と、自我の正体を解き明かした覚者くらいのものです。

とは言え、生まれついての全自我だった崩残先生の晩年は、決してカッコ良いものでは無かったし、私も崩残先生に禅書を注文していなかったら、人の道を逸脱していました。全自我、覚者と言えども、絶対に間違わない訳ではありません。

仏教に自灯明、法灯明という教えがあるように、結局、頼りにすべきは自分自身です。そして自我復元は、頼れる自分を取り戻す為のメソッドなのだと思います。