ことばのおきば

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静と動

踊りには呪術的な意味がありますし、心身を統一させたり、心理的な抑圧を解放させる効能もあります。OSHOが開発したダイナミック冥想の〆がダンスになっているのは、そういう意味があるからです。

因みに、瞑想は目を瞑(つむ)る事を意味しており、冥想は自らの心の奥底を想う事を意味しています。OSHOのサイトではダイナミック「瞑想」と表記していますが、内容的には「冥想」と書き記すべきものです。

また、手足を動かせば気血の流れが良くなり、健康になります。八段錦などの健身気功はダンス的な動きですし、中国の有名な気功家も、日本のラジオ体操は気功と同じ効果があると言っていました。

 

適度な運動はメンタル改善に役立ちます。精神科医の中には、朝起きてから一時間以内に散歩をする習慣を身に付けるべきだと主張する人もいます。散歩の代わりにダンスや気功をすれば、心身の健康は約束されたも同然です。

心身が健康でなければ働けないし、日常に疲れ果てているようでは、悟りの修行を継続したり、地球脱出を企(くわだ)てたり、計画を実行に移すだけの余力を残せません。畢竟、求道者は人並み以上にタフネスでなければいけないのです。

普通の人は未来への希望がなければ生きていけませんが、求道者は過去や未来を憂いたりせず、ひたすらに「いまここ」を生きています。それにより精神的な省エネを徹底しているのが求道者の強みなのです。

 

求道者は、人間社会のド真ん中に居ても社会には属していませんし、学校や会社の人間関係に苦悩しながらも、何処か他人事だったりします。何故なら、エゴ(欲望)で動く人間社会は、基本的にどうにもならないと知っているからです。

どうにもならない事を、どうにかしようとするのは無謀であり、無駄な事です。気を付けるべきは火宅の世に在って、愚かしい真似をしないことであって、社会や人類そのものを変えようとする事ではないのです。

行住坐臥坐禅(ぎょうじゅうざが ざぜん)という禅の言葉がありますが、私なりに解釈すると体は動かしても、心は動かさないとなります。言うならば、仕事は淡々とやるけど、面倒な人間関係には首を突っ込まないとか、そんな感じですかね。